南東北ツーリング(3日目)

 4連休だが、ツーリングは今日で終了の予定。なので今日は夜明けとともに出発し、3年ぶりの松川浦を起点に、日本海岸を可能な限り南下し、帰路につこうと思っている。

 南下ルートの国道6号は全線開通しているのだが、放射線量の関係でバイクは浪江町あたりで侵入禁止になる。当然バイクのために迂回ルートがあるのだろうと思い、行けるところまで行くつもりだった。面倒臭がりな僕は、下調べが苦手。仕事ならやらざるを得ないが、プライベートは「どうにかなるさ」がいつものパターンだ。

 で、その結果、松川浦と浪江町あたりの様子を見たら、さっさと帰ろうと思っていたが、二輪にとって高速道路を使用せずに帰宅困難地域を通過するのは結構大変な上に、道に不案内なこともあって、3度のUターンを強いられ、このエリアを抜けるのにかなりの時間を要してしまった。まあ、それも旅の楽しみというものではあるけれども。

 長野を目指す場合、新潟経由か群馬経由となる。新潟経由は会津若松から西に走って新潟市に抜ける山間部を迂回するコース(1)と、峠を越えて魚沼に抜けるコース(2)を、そして、群馬経由は高速を使って東北道、東関東自動車道、上信越道と走るコース(3)と、下道なら日光を抜けるコース(4)を使用したことがある。セローは高速が苦手だし、エンジンも不調、お金もかかるので、(3)はパス。(4)も国道4号を南下すれば混雑が予想されるのでパス。(2)はひたすら遠かった記憶があるので、今回は(1)を選択した。しかし、夜間の峠越えは寂しくなってしまうので、明るいうちに抜けたい。だから猪苗代湖も横目で眺め、会津若松もお城だけ見学をして先を急いだ。

 心配していたのは、只見から六十里越えだ。ここは過去に2度走っている。六十里越えが難儀だなぁと思っていたが、今回走ってみてそうでもないと思った。時々クルマやバイクともすれ違い交流量もある。今後も使いたいルートだと考え直した。

 さて、短い時間ではあるが、僕が見た福島県の沿岸は、津波からの復旧もまだ半ば、原発事故からの復旧はまだまだという感じが否めない。会津や中通り地域が、平穏無事な日常を取り戻しているのに対し、浜通りは原発エリアに近づけば近づくほど、震災の傷跡が色濃く残り、別世界の感はいなめない。

 朝の通勤時間帯、国道6号を南下して浪江町に近づくと、復興作業に携わる人々の乗る大型バスやダンプで渋滞していた。3桁国道を走ると除染作業によって出たゴミが、いろいろなところに積まれているのを目にした。黒い袋に詰められた、一見牧草ロールかとも思えるあのゴミは、最終的にはどこに行くのだろうか。それを考えると、今の時点で原発を動かすことに疑問を感じざるを得ない。

▲夜明けとともに「いこいの宿相馬」を出発(4:33)

▲夜明けとともに「いこいの宿相馬」を出発し、松川浦を目指した(4:33)

▲2015年8月
▲2015年9月

▲3年前のツーリングで印象に残っていた松川浦の建物は再建されていた。上が2015年(今回)、下が2012年9月

▲2015年8月
▲2015年9月

▲コンクリートの骨組みだけになっていた相馬双葉漁協の市場は、ずいぶんときれいになっていたが、まだ建築中の建物があった。上が2015年(今回)、下が2012年9月

▲松川浦大橋は未だに通行止め(4:55)

▲松川浦大橋は未だに通行止め(4:55)

▲相馬港に登る朝日(5:10)

▲相馬港に登る朝日(5:10)

▲相馬港の海岸線ではなく、内陸部にも防波堤が建設中(5:15)

▲相馬港の海岸線ではなく、内陸部にも防波堤が建設中(5:15)

▲松川浦南側の防波堤。ズタズタだったが再建中。前よりも高くなっていた(5:58)

▲松川浦南側の防波堤。ズタズタだったが再建中。前よりも高くなっていた(5:58)

▲復興作業のクルマがどんどんと浪江、双葉町方面へ走り渋滞も見られる中、浪江町の知命寺交差点先にこれより先は二輪車通行止めの標識(7:21)

▲復興作業のクルマがどんどんと浪江、双葉町方面へ走り渋滞も見られる中、浪江町の知命寺交差点先にこれより先は二輪車通行止めの標識(7:21)

▲標識で折り返す。浪江の市街地へは進入禁止。がっちりとガードされている(7:24)

▲標識で折り返す。浪江の市街地へは進入禁止。がっちりとガードされている(7:24)

▲国道114(高速へは抜けられた)、県道49、県道62と3度の行き止まりで、県道12まで引き返し中通りを目指す。途中除染作業まっさかりの地域にはいろいろな場所にゴミ置場があった。このゴミの最終的な落ち着き先は決まっているのだろうか(9:36)

▲国道114(高速へは抜けられた)、県道49、県道62と3度の行き止まりで、県道12まで引き返し中通りを目指す。途中除染作業まっさかりの地域にはいろいろな場所にゴミ置場があった。このゴミの最終的な落ち着き先は決まっているのだろうか(9:36)

▲日本で4番目に大きな湖「猪苗代湖」に到着。きれいな砂浜があって水浴びを楽しんでいる人もいた(11:34)

▲日本で4番目に大きな湖「猪苗代湖」に到着。きれいな砂浜があって水浴びを楽しんでいる人もいた(11:34)

▲会津若松市街は駆け抜けるつもりだったが、城好きなので鶴ヶ城へ。鉄筋なのが残念だった(12:44)

▲会津若松市街は駆け抜けるつもりだったが、城好きなので鶴ヶ城へ。鉄筋なのが残念だった(12:44)

▲お土産を買い忘れたので、最後の観光地「大内宿」へ寄り道。高台から見下ろすと博物館にあるジオラマを見るようだ。時間が止まっているような気がする(14:21)

▲お土産を買い忘れたので、最後の観光地「大内宿」へ寄り道。高台から見下ろすと博物館にあるジオラマを見るようだ。時間が止まっているような気がする(14:21)

▲腹が減ったので大内宿名物のねぎそば(950円税別/石原屋)をいただく。こんな腰の強いそばは初めて。それを辛味のあるねぎを箸代わりにして食べる。ねぎは薬味でもあるので少しずつ短くなっていく。辛いので全部食べるのは無理(14:33)

▲腹が減ったので大内宿名物のねぎそば(950円税別/石原屋)をいただく。こんな腰の強いそばは初めて。それを辛味のあるねぎを箸代わりにして食べる。ねぎは薬味でもあるので少しずつ短くなっていく。辛いので全部食べるのは無理(14:33)

▲大内宿を出る頃に空模様が怪しくなってきた。暗くなるまでまだ時間はあると思っていたが、空はどんどん暗くなり、雷鳴も轟いた。只見湖に到着するとなんとか空模様は持ち直してきた(16:45)

▲大内宿を出る頃に空模様が怪しくなってきた。暗くなるまでまだ時間はあると思っていたが、空はどんどん暗くなり、雷鳴も轟いた。只見湖に到着するとなんとか空模様は持ち直してきた(16:45)

▲いよいよ峠越え。只見湖を過ぎるとすぐに九十九折の道で標高を上げていく(16:54)

▲いよいよ峠越え。只見湖を過ぎるとすぐに九十九折の道で標高を上げていく(16:54)

▲道もスノーシェッドが連続するものすごく山の中なのだが、その道を鉄道が並走する。手前の橋を鉄道が走る(17:02)

▲道もスノーシェッドが連続するものすごく山の中なのだが、その道を鉄道が並走する。手前の橋を鉄道が走る(17:02)

▲ダム湖である田野倉湖を見下ろす位置に六十里越え開通記念碑が建っている。内閣総理大臣田中角栄と刻まれている(17:10)

▲ダム湖である田野倉湖を見下ろす位置に六十里越え開通記念碑が建っている。内閣総理大臣田中角栄と刻まれている(17:10)

出発:4時30分 到着:20時40分
走行距離:565km
3日間トータル走行距離:1,247km

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