信濃三十三カ所巡り3

 飛び飛びだけど、今日は3日目の三十三カ所巡り。長野市内から筑北村をつなぐコース。

第16番清水寺

 清水寺は、紅葉で有名なお寺で、紅葉を見に行ったことがある。かつては三重の塔などもある規模の大きな寺院だったが、ここも大火で衰退したらしい。しかし、観音堂は地元の建設会社、ウインタースポーツでも有名な北野建設が再建している。

 その観音堂は、本堂から石段をかなり登っていく。石段は登っていけばいくほど崩壊ぎみで険しくなる。前に訪ねたときは、紅葉見物もあったのでゆっくりと歩いて登った。だから、その横を車が通れる道が通っていることを知っていたので、本堂を参拝すると、観音堂まではバイクで登った。お堂の前には真言も記されており、真言と般若心経を唱えた。
▲観音堂へ向かう参道の入り口。右奥に本堂が見える

▲観音堂へ向かう参道の入り口。右奥に本堂が見える

▲山門をくぐると長い石段が始まる。秋には素晴らしい紅葉が見られる

▲山門をくぐると長い石段が始まる。秋には素晴らしい紅葉が見られる

▲石段を上り詰めると観音堂。朱塗りの懸崖作り。昭和40年代の再建で鉄筋

▲石段を上り詰めると観音堂。朱塗りの懸崖作り。昭和40年代の再建で鉄筋

 次の関昌寺は、筑北村なので、再び猿ヶ馬場峠(国道403号、聖湖のところ)を越えることになる。「また」なので、今日は往路を県道55号、復路を国道403号でアプローチすることにした。

 関昌寺への目印は「西条温泉とくら」。この温泉とは反対側の集落内に位置する。アプローチ方法を大雑把にメモしてきたので、やっぱり迷ってしまったが、それでもぐるぐるするうちに発見できた。

第17番関昌寺

 関昌寺は、善光寺西街道西条宿の関所の役割も果たしていたと考えられる寺だという。本尊の十一面観音像は、明治の廃物毀釈により廃れた寺院から関昌寺に移されたものだという。

 そんな関昌寺も、今では無住職のお寺ですっかり廃れた感じになっている。信濃三十三カ所を巡ると、栄枯盛衰の悲哀をつくづく感じてしまう。
▲サッシ窓になり民家かと。すぐそばをJR篠ノ井線が走る

▲サッシ窓になり民家かと。すぐそばをJR篠ノ井線が走る

 参拝を終えると西条温泉とくらで昼食を食べ、「千年の湯」につかった。まずはお風呂と思ったが、食堂が1時45分にラストオーダーだということだったので、食事を先にすませた。「今日はとんかつ定食が850円とお得です。コーヒーも付きますよ」と声をかけられたのでちょっと迷ったがとんかつ定食にした。柔らかなカツで美味しかった。
▲とんかつ定食。ころもサクサクで肉はやわらかで美味しかった

▲とんかつ定食。ころもサクサクで肉はやわらかで美味しかった

 ここの温泉の湯は、日によって色が変わるというので期待して入った。本日の色はうっすらと白濁していた。硫黄成分が多く含まれる単純硫黄冷鉱泉だ。大きな湯船の内湯のみで、ガラス張りではあるが、1階でもあり視界は開けない。冷鉱泉だから適温に加温されており、ゆっくりと入ることができる。
▲お湯はうっすらと白濁していた

▲お湯はうっすらと白濁していた

▲西条温泉とくら外観

▲西条温泉とくら外観

 一息ついたところで、猿ヶ馬場峠を越えて篠ノ井へと戻り長谷寺へ。

第18番長谷寺

 長谷寺は、大和、鎌倉と並ぶ日本三大長谷観音。大和、鎌倉の長谷寺はともに拝観料も必要になる有名なお寺だが、この篠ノ井にそんな寺院と肩を並べるお寺が存在しようとは思ってもいなかった。開基は637年(大和長谷寺686年、鎌倉長谷寺不明、一説には736年)と他の2院に勝るとも劣らない歴史を持つ。

 本堂には回向柱が立っていた。ご本尊の十一面観音は秘仏で、ちょうどご開帳が終わったばかりだったので残念なことをした。本堂の裏手には西国三十三カ所の石仏が並び、巡礼することができる。石仏は昭和10年頃に作られたもののようだ。
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▲仁王門

▲仁王門をくぐり石段を登っていくと「霊場お砂踏み」が。四国八十八ヶ所などの霊場の砂が敷き詰められており、そこを歩くと霊場巡礼と同様のご利益があるという

▲仁王門をくぐり石段を登っていくと「霊場お砂踏み」が。四国八十八ヶ所などの霊場の砂が敷き詰められており、そこを歩くと霊場巡礼と同様のご利益があるという

▲階段を登りきると立派な鐘楼の門が建つ

▲階段を登りきると立派な鐘楼の門が建つ

▲本堂。数日前までご開帳だったために回向柱がまだ立っていた

▲本堂。数日前までご開帳だったために回向柱がまだ立っていた

▲本堂の裏を登っていくと西国三十三カ所の観音様の石仏がならぶ

▲本堂の裏を登っていくと西国三十三カ所の観音様の石仏がならぶ