信濃三十三カ所巡り7

 前回最南端の巡礼を終えたが、順打ちをしている関係で、2番目に遠い諏訪湖近くの阿弥陀寺へ寄ることができなかった。今日は再び南へ。ビーナスラインを超えて諏訪湖方面に向かった。
▲車山肩付近のビーナスライン

▲車山肩付近のビーナスライン

 阿弥陀寺は、諏訪湖を見下ろす絶景スポット「立石公園」の近くにある。以前、ここに夜景の撮影に行ったことがあるのだが、それは素晴らしい夜景だった。立石公園にも帰りに寄ることにした。

第24番阿弥陀寺(あみだじ)

 県道40号下っていくと立石公園に曲がる交差点のところに案内板があった。

 当山は、今より四百年前慶長三年に弾誓(たんぜい)上人が開山された信濃第一の霊場であり、名僧徳本(とくほん)上人も歴代に名を連ね、全国にも数少ない念佛道場であります。
 平成五年火災により消失、平成六年から九年にかけて本堂は、大本山善光寺大本願の「本誓殿」を移築し、岩屋堂、庫裡等すべて再建復興いたしました。

 その案内板の方に折れていくと、だんだんと寂しい山道に。斜面だが道幅が広がったところが駐車場になっていた。そこにセローを停めて、苔むした、いかにも滑りそうな道をテクテクと上っていくと鐘楼があり、なんと勝手に突いていいと書かれている。折角なのでゴーンと一発突かせていただいた。
▲鐘楼への石段。ご自由に…と書かれている

▲鐘楼への石段。ご自由に…と書かれている

 本堂はもう少し奥。いつも驚かされるが、こんな山の中にと思わされる立派な本堂がデーンと出迎えてくれた。
▲善光寺から移築された本堂。右奥に見えるのが観音堂

▲善光寺から移築された本堂。右奥に見えるのが観音堂

 ここの本堂は、元々は善光寺大本願の本堂だった建物で、それを解体移築したものだと、以下のように書かれていた。

 当山本堂は、長野市大本山善光寺大本願の本堂であった「旧本誓殿」を平成八年に解体移築し、当山の本堂とした。
 明治三十五年鎌倉様式で、重厚荘厳豊に建造された。解体前までの約百年間、歴代尼公上人出座の法要や毎日の勤行が勤められていた。
 当山に於いて念仏道場として第二の役割を負う。 
               (間口七間奥行九間)

 観音堂は、本堂の裏手になる。一段高い場所にあり、岩に食い込むように設けられている岩屋堂だ。御本尊は十一面観世音菩薩だ。
▲山にめり込むように建つ観音堂

▲山にめり込むように建つ観音堂

▲本堂前からの眺め。諏訪湖が眼前に迫ってくる

▲本堂前からの眺め。諏訪湖が眼前に迫ってくる

 参拝を終えると立石公園に寄った。諏訪湖全体を真上から覗き込むような展望だ。諏訪湖を眺める絶景スポットはいくつかあるが、ここはトップクラスの眺望だと思う。

 諏訪湖からは一気に松本方面へ戻る。第25場札所盛泉寺を目指す。国道20号で塩尻峠を越え、JR広丘駅前で県道25号に折れ、山形村へ。ここで昼食にした。

 山形村といえば唐沢そば。10軒ほどの蕎麦屋がならぶ「唐沢そば集落」が有名だ。その1軒が、ちょうど役場の隣に出店しており、その看板が目についたので昼食にすることにした。お店の名前は「そばカフェ水舎」。そこで「粗挽き蕎麦」を食べた。唐沢そばの特徴の一つが「皿そば」だ。お店のパンフレットには皿そばのことについて以下のように書かれていた。

 唐沢そば集落では「そば」を盛るのに身近な食器として皿を用い、2皿(弊店では大皿量)を1人前としてそのまま皿に盛り提供しておりました。

 素朴で美味しいそばが食べられた。今度はそば集落で食べ歩きを楽しみたい。
▲皿に盛られた「粗挽き蕎麦」

▲皿に盛られた「粗挽き蕎麦」

 腹ごしらえをしたら、日本アルプスサラダ街道を北へ。住宅が増えると波田の集落になる。スイカで有名な波田だ。このへんかなぁと迷い込むとそこは趣のある古い街並みがあった。全然知らなかったのだが、波田、特に上波田地区は信濃日光とも言われた若澤寺の門前町。飛騨に通じる野麦街道が通っていたため、かなり栄えた集落だったのだ。迷い込んだ上波田阿弥陀堂前の案内板には以下のように「上波田地区の歴史」が記されていた。

(昭和八年「波多村」から「波田村」へ変更)

 室町時代、小笠原氏が波多山城と西光寺内城を構築、城下にあたる上波田地区は整然と街割りがなされ、旧野麦街道沿いに城下町が形成されました。
 江戸時代になると、上波多村は若澤寺を中心として栄えます。当時、この寺は水沢地籍にあって「信濃日光」と称され、その景観や寺観の壮大さは、近在はもとより、全国からも多くの参拝者が訪れました。
 若澤寺は明治四年に松本藩の廃物毀釈により寺は取り壊され仏像等は散逸し、建物も周辺の寺に移され、現在は石垣などを残すのみです。
 上波田地区にある国重要文化財「田村堂」・県宝「仁王尊」は若澤寺の遺物であり、上波田地区の歴史を語る上で若澤寺は切っても切り離せない存在です。
 江戸時代に繁栄したこの地区では、若澤寺への参拝の通行のほか、飛騨へ通ずる道として「旧野麦街道」が重要な路線でしたが、後に「野麦街道(現国道158号)が整備され、町の中心も国道158号沿いへと移り、旧野麦街道沿いの集落として上波田地区には、今なお古い街なみが残されています。

▲上波田地区は石畳の道が続く

▲上波田地区は石畳の道が続く
第25番盛泉寺(じょうせんじ)

 道に迷ったがiPhoneのおかげで、すぐに目的の盛泉寺にたどり着いた。
 盛泉寺にも若澤寺の堂宇や仏像が多く移されている。今回の目的地である観音堂(水沢観音堂)も若澤寺から移築されたものだ。境内には下記のように記されている。

 水沢観音堂は明治の初年までこの地より1.5kmはなれた上波田水沢にあった若沢寺の中心的建物であり、中堂救世殿と称し、延暦年間(七九〇年頃)坂上田村麻呂により寄進された建物であると言われる。
 伝説によれば田村麻呂は、有明山麓中房の八面大王という賊を征伐するためにこの地へ来て、水沢山に本拠を置き、日頃肌身離さず持って兜の前につけていた千手観音の加護によって賊を退治することができた。そこで水沢山一円に堂宇を建立して千手観音を安置したという。若沢寺の寺域は、奥院・中院・里院があってその規模はまことに壮大で「信濃日光」ともいわれ隆盛をきわめていたが、明治初年の廃仏毀釈の令により取り壊しとなったが、この水沢観音堂のご本尊である千手観音は信濃二十五番札所でもあり当時の盛泉寺住職が中心となり広く多数の信者檀徒の寄進により明治二十年代に現在の地へ再建された。
 観音堂の正面には山岡鉄舟の「大悲閣」の額がかかげられており、森に囲まれたそのたたずまいは歴史の重さを感じさせずにはいられない。

 その観音堂は、本堂に向かって左奥にある。さすが歴史ある建物と思ったが、寺のホームページを見ると、昭和59年に改築されている。本堂に勝るとも劣らない立派な観音堂だった。
▲水沢観音堂

▲水沢観音堂

▲盛泉寺本堂

▲盛泉寺本堂

盛泉寺ホームページ:http://jyousenji.or.jp/index.html

 波田の歴史に触れると、さらにサラダ街道を北へ。畑の中をぐるぐる走るので、またまた道に迷ったがなんとか、本日最後の札所、満願寺の案内板を発見した。
▲国道158、野麦街道をを超えるとサラダ街道は再び果樹園に囲まれた道になる

▲国道158、野麦街道をを超えるとサラダ街道は再び果樹園に囲まれた道になる
第26番満願寺(まんがんじ)

 満願寺の表参道には、屋根付きの橋「微妙橋」が掛かっている。ここから上っていくのだが、境内まで道路もついていてクルマでも直接行ける。だから、直接本堂横に到着してしまった。本堂から石段が下の方に伸びていて、そこに山門があったので気がついた。もしそれに気がつかなければ、微妙橋を見ることもできなかった。
▲満願寺本堂

▲満願寺本堂

 満願寺も人里離れているが、立派な本堂が建っていた。開基は坂上田村麻呂まで時代が遡るが、歴代の松本城主に保護されていたようだ。境内の案内板には下記のように書かれている。

真言宗高野山竜光院末寺。歴史は古く記録には弘治二(1556)年の「再興勧進帳」元亀二(1571)年の祈祷札、織田信長禁制、小笠原貞慶書状等がある。旧観音堂は弘治の建造で松尾寺薬師堂と同手法であった。「坂上田村麻呂妖賊退治」「お小僧火」等伝説の寺でもある。

 本堂も立派だが、微妙橋も素晴らしい。微妙橋のそばにあった説明書きには下記のように書かれていた。

 明治三十九年(1906)東穂高村在住で木曽福島の大工瀬川伊勢松が再建をてがけた橋長約一五メートル、橋幅約三・六メートル、切妻造りの屋根付太鼓橋である。橋板の裏面には、梵字の経文「陀羅尼」が書かれているため、お経橋とも呼ばれ、善男善女が極楽浄土へ渡る橋として親しまれている。
 当初の架橋年代については定かでないが、弘治二年(一五五六)の満願寺勧進状には、三途の川を渡る橋として登場することから、それ以前に建築された橋であることがわかる。

 六地蔵が並ぶ参道入口から橋を渡ると地蔵堂。ここだけでも古刹の雰囲気たっぷりの満願寺だ。
▲右の道が参道入口。奥に微妙橋と地蔵堂が見える

▲右の道が参道入口。奥に微妙橋と地蔵堂が見える

▲屋根付きの橋、微妙橋

▲屋根付きの橋、微妙橋

 満願寺を後にすると、せっかくここまで来たので大町温泉を目指した。もう何年ぶりかの大町温泉。温泉郷入口の日帰り温泉「薬師の湯(700円)」につかった。
▲薬師の湯外観

▲薬師の湯外観

 ここは新館でメインである「アルプス自然浴の館」と旧館で硫黄泉や食塩泉など4種類の体験風呂もある「体験風呂の館」の2つの湯がある。着替えてから移動しないといけないので2つの湯に入るのは面倒だが、新館には緑に囲まれた露天風呂、旧館には鄙びた感があり、それぞれにいい感じな部分がある。泉質は単純温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)。新館はお湯を一部循環しているようだ。

 2つの湯をゆっくりと楽しんでから帰路についた。