義母永眠

 今日、義母の葬儀を終えた。9月末、ガンの転移が見つかり余命1,2ヶ月と言われていた。そのほぼ1か月後の一昨日に帰らぬ人となった。

 高齢者介護の仕事を始めてから、人生の最期に遭遇することは当たり前のこととなり、それ自体は悲しみよりも、「頑張りましたね。これでもう苦しむことなく安楽な世界に行けますね」という感覚で、めでたいような気さえしていた。その大半は90を超えている人が多かったのもあるし、認知症を患い、本来の自分が思う暮らしが、できていないのではと思う方も多かったからだ。

 しかし、義母は昭和17年生まれの77歳、少しばかり早かったなあと思える。そう、ほんの数ヶ月前まで元気に過ごしていたのだから。

 義母はけっこうさばさばとした性格で、癌であることを知っていたこともあると思うが、再発による余命宣告を医師からはっきりと聞く前に、自分の状態をなんとなく悟り、緩和ケアを受けることを自ら選択した。入院してからは、面会にいくと僕にもいろいろと話をしてくれた。気を遣うとこらがあったので、面会に来た僕には苦しいところ、無理をして話をしてくれたのではないかと思う。

 結婚してからはずっと東京周辺で暮らしていて、10年ほど前に、長野に越してきてからも近所で暮らしながら、1年に数回会う程度だった。それが、この1ヶ月で、結婚してからの二十数年分を遥かに上回るほどの話をした。気を使わせたのかもしれない。

 その中で印象的だったのは、これまで一番楽しかった時代は、40代で、バイクに乗ってツーリングを楽しんでいた頃だという話。バイク雑誌を作っていた僕にとっては、とても嬉しい話だった。