近場の史跡探訪/丹波島宿と清水寺

 バイク旅行の記事に出ていた丹波島宿、すぐそばなのに一度も行った事が無かったので行ってみる事にした。天気もよかったので雪をかぶった北アルプスを見るために大岡温泉へ。そして信州新町でジンギスカンを食べ、最後は紅葉終盤の若穂清水寺を拝観した。この清水寺は、保科温泉のすぐ近く、何度もそばを通っているが一度も行った事がない。facebookの投稿で見た紅葉の美しさに感動して行ってみた。

 丹波島宿は、北国街道の宿場で、丹波島の渡しがあった場所。善光寺への参拝に多分にぎわっただろう宿駅だ。
▲記念碑

▲記念碑

▲渡し付近の犀川の流れ。奥に見えるのが丹波島橋

▲渡し付近の犀川の流れ。奥に見えるのが丹波島橋

 丹波島の渡し跡には記念碑が建立されており、その裏には、下記のような文章が刻まれている。

 北國往還、犀川の渡しは「市村の渡し」といわれ、犀川左岸の市村(長野市若里)と右岸の綱島村(長野市綱島)間の舟渡しでありました。
 慶長年間、裾花川の瀬替えと北國街道丹波島宿開設(一六一一)とその後の犀川の洪水・増水で流れが変わり、上流に移りこの地が舟渡し(綱渡し)の舟着場になりました。明治に至る二百六十有余年、流れ早き犀川の渡しは難所といわれ、犀川の水かさが増すと年平均六十日(二八〜一二二日)もの川留めがあり、「丹波嶋の渡し」は北國街道の多くの歴史を刻んできました。
 明治以降、北國街道は國道五号線、さらに十号線となり、昭和八年(一九三三)に國道十八号線が新設されるまで主要國道でありました。
 また舟渡しは舟橋(一八七三)となり、木橋(一八九〇)にかわり、二世、三世と続き、昭和七年(一九三二)鋼橋となり、そして昭和六十一年(一九八六)現在の丹波島橋となりました。
 平成二十二年は木橋第一世が、当時の区民百二十八名の連名で架橋し、民営丹波島橋が開通して百二十年になります。そこで丹波島区は北國街道・丹波嶋宿開設四百年の歴史と先人達の足跡を偲び、丹波島区民の篤志により記念碑を建立することにいたしました。
 碑文は小林一茶の文政句帳、十返舎一九は善光寺道中膝栗毛より選句しました。

 なるほど。街道の渡しとしても有名だが、武田信玄と上杉謙信が戦った川中島の戦いで、謙信軍が敗走した渡しとしても有名だ。その詳細については、下記のホームページがわかりやすくて面白い。
ながの観光コンベンションビューローのホームページで、第四次川中島の戦いをアニメーション化している部分は必見だ。
http://www.furin-kazan.jp/nagano/index.php
 長野市の平野部(盆地)は善光寺平と呼ばれ、信玄と謙信の古戦場。盆地なので、この平地を一望できる場所が随所にあり、そこに立つと、戦国時代に思いを馳せることができる。川中島の戦いを知れば知る程、面白くなる。

 丹波島宿の話に戻るが、記念碑にも書かれているとおり、整備が行われており、わずかに往時の姿を偲ばせてくれる。明治天皇も訪れた地なので、当時はかなりの賑わいを見せていたに違いない。
▲宿場の西端、於佐加(おさか)神社

▲宿場の西端、於佐加(おさか)神社

▲宿場のの入口や脇道からの突き当たりには邪気を払う飾り瓦があり、立て替えられた家々にもその瓦だけが残されている

▲宿場のの入口や脇道からの突き当たりには邪気を払う飾り瓦があり、立て替えられた家々にもその瓦だけが残されている

▲高札場を再建

▲高札場を再建

▲宿場の最高責任者である問屋(といや)柳島家。門は松代藩廃止後移築したもの

▲宿場の最高責任者である問屋(といや)柳島家。門は松代藩廃止後移築したもの

丹波島宿
私の満足度:★★★
 
 天気がよかったので、宿場を後にして北アルプス展望が素晴らしい大岡に向かった。その途中、茶臼山動物園の先に高札場を見つけた。もちろん再現されたものだが、この道は今では交通量の少ない道だが、かつては主要街道だったのだと驚きだった。
▲県道86号にある高札場。松代藩にある41ヵ所の高札場のうちのひとつ

▲県道86号にある高札場。松代藩にある41ヵ所の高札場のうちのひとつ

 大岡温泉からの展望は、やや雲は多かったが予想を裏切らないものだった。
▲内湯からも北アルプスを一望できる

▲内湯からも北アルプスを一望できる

 大岡温泉を信州新町に抜け、久々にジンギスカンを食べた。長野市外のスーパーでは、どこにでもおいてあるジンギスカンの製造元の直営店に行ってみた。ここでは、市販されていないラム肉のジンギスカンを食べた。肉がとても柔らかく、甘い味わいのタレがしみてとても美味、肉の量1.5倍のボリュームの満足ランチ1,280円でしばしの幸福感を味わった。
▲ラム肉が柔らかくてうまい

▲ラム肉が柔らかくてうまい

レストランむさしや
私の満足度:★★★★
 
 最後は若穂の清水寺(せいすいじ)。若穂は保科温泉によく出かけるので、清水寺のそばはちょくちょく通っていた。こんな見事な紅葉が見られる、しかも由緒あるお寺だとはついぞ知らなかった。
 清水寺は、天平14(742)年、東大寺の建立にも尽力した高僧行基が自らが彫った観音像を安置したことから歴史が始まるという由緒正しきお寺。その後、征夷大将軍坂上田村麻呂がお堂を再建したのだという。仁王門や観音堂、経堂、三重塔、大日堂、釈迦堂など数々の建物が並ぶ大きなお寺だったが、なんとなんと、残念なことに大正5(1916)年、保科村の大火で消失してしまった。今は、本堂と、奥院である観音堂が再建されている。観音堂へ向かう石段に往時の面影を残すのみなのだ。それにしても保科村の大火は恐るべし。
▲清水寺。右側の塀の内側が本堂

▲清水寺。右側の塀の内側が本堂

▲石段を上り詰めたところに立つ懸崖造りの観音堂。本堂から石段を歩いて行くのがおすすめだが、クルマで行ける

▲石段を上り詰めたところに立つ懸崖造りの観音堂。本堂から石段を歩いて行くのがおすすめだが、クルマで行ける

 さて、紅葉だが、本堂横の石段部分、約50mほどの区間が素晴らしく、ピークを過ぎていたとはいえ、照りつける西日に燃えるような紅葉の色が美しかった。来年、もっといい時期に再訪したいと思う。
▲日に照らされると燃えるような美しさ

▲日に照らされると燃えるような美しさ

▲石灯籠の並ぶ参道の雰囲気もいい

▲石灯籠の並ぶ参道の雰囲気もいい

清水寺の紅葉
私の満足度:★★★★★