今日は第9番札所の蓑堂からめぐる。般若心経を唱えようと経本を購入したので、今回から数珠と経本を携帯してめぐることにした。まず、真言を3度、そして般若心経をあげ、再び真言を3度唱えることにした。
第9番蓑堂(みのんどう)
蓑堂は松代地震の際に岩の上にあったお堂が崩壊、今は個人宅に観音像は疎開している。なので、その場所を尋ねても観音様を拝めないことはわかっていたが、それでも何らかの痕跡は見られるものと尋ねて。米子大瀑布へのアプローチルートにあるものと思っていたが、ちょっと違っていた。そのため、ウロウロとしてしまったが「ここだな」という場所をなんとか見つけることができた。難所を思わせる断崖は発見できたが、痕跡をしめす石碑とか案内板はまったく見つけられなかった。これは帰ってからもう1度調べなおしてわかったことだが、個人宅を訪ね、観音様を拝んでいる方が何人もいた。全てを巡り終える前に、もう一度観音様を訪ねたいと思っている。
※最後の札所巡りを終え、再び蓑堂を調べ直したら、まったく違う場所だということが発覚した。出かけてみたが、観音像が安置されている個人宅は留守のようだった。この観音様に会えなければ、札所巡りも真の満願を迎えられない。再訪したい。
第10番高顕寺(こうけんじ)
次の高顕寺は蓑堂に近い。しかし、まったく案内板がないので、またしてもウロウロとしてしまう。案内板については、市町村によって取り組みに格差がかなりあるようなな気がする。2、3度ぐるぐると回って見つけた高顕寺は、観音堂はもちろん、立派な本堂に太子堂、鐘楼そして不動堂を構えた立派なお寺だった。札所巡りについての解説も掲げられていた。
次の清滝観音堂は松代の寺。ちょうど菅平へと抜ける林道の入り口にあるので、高顕寺の参拝を終えると菅平を抜けて林道経由で参拝することにした。
第11番清滝観音堂(きよたきかんのんどう)
菅平側からアプローチしたため、清滝観音堂は奥院になる阿弥陀堂から参拝した。この阿弥陀堂の裏手が清滝になる。霧のような流れがキラキラと降り注ぐ滝で、流れは空中で消えてしまうくらいわずかで滝壺はない。次に観音堂へと下る。市街地を見下ろす高台に建つ観音堂の千手観音像は、奈良時代の僧行基が、この地を訪れた際、桑の巨木から彫り出した3体のうちの1体で、他の2体は、第7番札所の桑台院と第16番札所の清水寺に安置されているという。そのため、この3寺を一度に巡礼するとご利益が大きいと言われているそうだ。次はそうしてみたい。
第12番無常院(むじょういん)
無常寺は、我が家からほど近い。江戸時代に作られたという善光寺七名所(七院、七社、七橋、七池、七清水、七塚、七小路の7つ)の善光寺7院の一つ。本尊は「善光寺仏」と呼ばれる一光三尊の阿弥陀如来像だ。歴史も善光寺の前立本尊より古い鎌倉時代中期の作と言われている。善光寺とご縁のあるお寺のようだ。馬頭観世音菩薩の安置された観音堂(中見堂)は建て直されて間もないようなピカピカだった。
第13番、第14番と千曲市になる。
移動の途中で、前から行ってみたいと思っていた蕎麦屋「たなぼた庵」に立ち寄った。ところが、なにやら玄関に張り紙が。どうも休業していて再開したらしい。後でわかったことだが、再開後は「たなぼた庵」から店名を「たなぼ」に変更。忙しい時間が過ぎたところだったからか、店員に元気がない、というか愛想がない。何か暗い雰囲気があったのは気のせいだろうか。また行ってみよう。
第13番開眼寺(かいがんじ)
第13番開眼寺も立派なお寺だった。善光寺西街道の桑原宿の外れにある。かつての善光寺西街道にあたる国道403号はよく通る道だったが、そのちょっと裏側。どのお寺もそうだが、三十三カ所巡りをしなければ出会えない風景がそこにある。
第14番長楽寺(ちょうらくじ)
次の長楽寺は近い。姨捨の棚田と隣接するお寺で、茅葺の本堂に観音堂、観音堂に隣接する岩の上から善光寺平を一望できる。芭蕉翁面影塚など境内にはたくさんの句碑がならぶ。姨捨の棚田が月の名所だからなのだろうか。
第15番岩殿寺(がんでんじ)
長楽寺を後にすると、再び国道403号に戻り、筑北村へ。差切峡(さしきりきょう)へ抜ける県道55号を経由して岩殿寺へ。かつては天台宗の修験場の中心地、七堂伽藍が立ち並び、75社4院12坊を連ねたこともあったが、江戸と昭和の大火でそのほとんどが焼失してしまったという。今は、本堂の両脇に馬の像がならび、馬に乗る馬頭観音の石像がある。なぜなのかわからないが、なにやら由来があるにちがいない。
本日は、ここまで。差切峡温泉坂北荘の湯につかって帰路についた。