信濃三十三カ所巡り5

 三十三カ所めぐりも5日目になる。今日はまたしても、国道403号を走り松本方面へ向かい松本市会田の長安寺を目指す。

 猿ヶ馬場峠を越えたところで、今日はお仙の茶屋跡に寄り道した。峠側からは道幅もあり、バイクでアプローチしてみた。急な下りのくねくね道に、ガチガチになりながらなんとか茶屋跡へ。そこは平らな道で、芭蕉も訪れたらしく、歌碑が建っていた。さらに下ろうとも思ったが、道が狭くなっていたので、来た道を引き返した。へたっぴーな私は、途中でエンスト、押しも入ってなんとか国道へ復帰した。久しぶりのちょっとしたくねくねミニヒルクライムに汗が出た。

 茶屋跡には、「弘法清水とお仙の茶屋跡」と題し、下記のように書かれていた。

 この清水はもと一杯清水と云ったが、弘法大師がこの地を訪れてから弘法清水といわれるようになったと伝えられる。
 当時、この茶屋にお仙という美しい娘が住んでいて、村の若者たちのあこがれの的であった。しかしお仙は人知れず旅の武士を慕い悲恋の一生を終わった。俳人松尾芭蕉翁は「さざれ蟹足這いのぼる清水哉」の句を残している。

▲坂道を下ると開けた場所に。ここがお仙の茶屋跡

▲坂道を下ると開けた場所に。ここがお仙の茶屋跡

 さて会田は、今まで通ったことのない初めての場所だ。筑北村の集落を過ぎたところで、高速の下をくぐるトンネル手前を県道303号へと折れる。田舎道かと思いきや、けっこう整備された道だった。

 目指す長安寺のある集落に着くと、そこは善光寺街道の会田宿、宿場の面影を残す雰囲気のある町だった。
▲往時の面影を残す会田の街並み

▲往時の面影を残す会田の街並み

長安寺の目印は中学校だ。旧中学校の裏手に入る道に、長安寺の案内板がたっていたのだが……。

第20番長安寺(岩井堂)

 長安寺があった敷地は更地になっていた。隣接して民家があったのだが、そこに人の気配はない。お堂があるのではないかと、周辺を探したが、あるのはお墓ばかり。ここまで来て、これはないだろうと思ったが、これまで巡ったお寺のことを考えると無くなっていても仕方がないような気がした。
▲長安寺の跡は更地になっていた

▲長安寺の跡は更地になっていた

▲近くの木に張り紙が。「御朱印は牛伏寺へ……」と

▲近くの木に張り紙が。「御朱印は牛伏寺へ……」と

 それでも、ここまで来たのだから誰かに観音様はどうなったのか聞いてみようと人影を探した。舗装路に戻り、少し上ったところに立派なお寺があった。六文銭を配した寺で、もしやここ? と思ったら、廣田寺と書かれていた。

 ここで第一村人発見! おばあさんがとぼとぼと駐車場を歩いていたので、声をかけてみたが、「そうですか。無くなったの。ずいぶん行ってないからねぇ」と。世情に疎い。足腰が弱ると行動範囲はどうしても狭くなってしまうのだろう。

 駐車場に隣接する畑で作業する第2村人を発見。作業中のところ申し訳ないが、声をかけてみた。この方もおばあさんと言える感じの方だったが、畑作業をされているだけにまだまだしゃんとされている。長安寺のことを聞くと、「うちもあそこにお墓があるんだけどね……」とお寺のこと、そこを守っていたご家族のことなども教えてくれて、とりとめもなくなりそうだったので、肝心の観音様のことを聞いてみると、お堂はもっと奥に行ったところにあると教えてくれた。ありがとうおばちゃん。

 おばちゃんは道案内をしてくれたが、よくわからない。とにかくバイクを進めてみると、散々迷ったが、1kmぐらい離れたところだろうか、道端に朽ちた立て札を発見! 岩井堂の案内があった。

 諦めなくてよかった。そこから山の中へ入っていくと、岩山の中に鎖を張った道がある。とてもこんなところに観音堂があるとは思えないような道だったが、じゃーん! あった。立派なお堂が建っていた。さっそく参拝しようとお堂に上がるとパッとお堂の中に灯りがともり、千手観音が姿を現した。この観音堂は感動的だ。わくわくした心持ちで般若心経を唱えた。
▲観音堂への道。岩肌を登っていく

▲観音堂への道。岩肌を登っていく

▲突然観音堂が見えてきた

▲突然観音堂が見えてきた

▲これが岩井堂(観音堂)だ

▲これが岩井堂(観音堂)だ

 遠かったせいもあるが、演出の効いた観音様との出会いに、とても満足感し観音堂を後にした。

 帰路は国道19号を走った。犀川沿いを走る、交通量が少なければ快適なツーリングロードだ。

第21番常光寺(岡田観音堂)

 篠ノ井までもどり、常光寺を参拝。こちらはりんご畑に囲まれ、町並みを見下ろす小高い場所にあるお堂だった。畑の中を通る道は細く、ここでも道に迷いながらお堂に着いた。
▲岡田観音堂

▲岡田観音堂

▲観音堂の中に入る

▲観音堂の中に入る

▲観音堂の前に広がるりんご畑

▲観音堂の前に広がるりんご畑

 お堂に入ると線香や蝋燭が用意されており、初めて線香も灯しお参りをした。

 常光寺は、この観音堂だけのお寺のようだ。観音様は、もともとは伊那の常円寺にあったが、その後塩尻の常光寺に移された。さらに明治の廃仏毀釈で、廃寺となり、観音様は古美術商の手に渡ったが、たまたま旅の途中で岡沢彦治郎氏が取り戻し、ここに観音堂を建て安置したのだという。

 堂内には、小学生が書いた調べ物のようなものも貼ってあり、地元に愛されている感がただよっていた。

 第22番札所は、伊那市になる。まだお昼ごろだったが、今日の予定はここまでだ。