信濃三十三カ所巡り9

 空模様が怪しかったのと、近場だということもあり、出発はお昼前。最後の4寺を参拝することにした。30番の正法寺から33番の高山寺までは、ほぼ一筆書きできるルートに並んでいる。国道19号から、3桁県道406号、401号とつないで、七二会から小川村へと向かっていく。自宅に近いとは言え山間地のルートで、これまで部分的にしか走ったことがない、ほぼ初めての場所。初めてのルートを走るのはいつもワクワクする。

 国道19号から県道406号に折れるとクネクネの上り、寂しい山道になる。県道401号との分岐辺りに郵便局など集落が見える。この寂しい区間が続くかと思えば、集落があったりする。いつも思うが、河川の氾濫が多かった時代には、山間部が住みやすかったのだろうなと。

 県道401号に入ると大丈夫だと思っていた雨が強くなって来た。引き返すことも考えたが、これ以上本降りにならないことを願い、また、本降りになったらいつでも引き返せるのだからと先を急いだ。

 七二会中学校が見えて、「街がある」とちょっとホッとした気分になったが、進む道はしょぼ降る雨の中、さらに山の中だった。そしてようやく正法寺に到着した。山門の前にバイクを止めると、埼玉ナンバーのワゴンが止まっていた。本堂あたりで、3人組のおじさんが千社札を貼っている。「あー、ああやるのね?」と横目で見ながら、作業が終わったあたりで本堂横の観音堂を参拝した。

第30番正法寺(しょうぼうじ)

 正法寺は仁王門を備える立派な本堂のあるお寺だが、本堂の壁にはブルーシートが掛かっていた。仁王門のところに、神城断層地震(白馬村を中心に被害を出した2014年の地震)で被害を受けたことが書かれていた。観音堂は本堂(向かって)右横にある。木造の聖観音立像は県宝に指定されている。下記のような説明があった。

 正法寺は大同年間(八○六〜八◯九)時の征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の折に当地に立ち寄り、心願により建立されたといわれる。
 木造聖観音立像は、作者は不明であるが藤原時代中期の作であり、圏内にもこの時代のものは至って少なく、みごとな彫技を示していて得がたい貴重な仏像である。
 (中略)
 宮殿は、戸隠村の大工棟梁、中川木工右衛門の作で江戸時代初期、寛永三年(一六二六)に建造された。頭貫鼻・隅棰木鼻、他の挙鼻に当時の建造物様式をよく示している。
※きばな【木鼻】 大辞林より
社寺建築で、頭貫(かしらぬき)などの端が柱から突き出た部分。多く、装飾として象や貘(ばく)などに似せた彫刻が施され、象鼻・貘鼻・拳鼻(こぶしばな)などと呼ばれる。

▲正法寺の仁王門

▲正法寺の仁王門

▲まだブルーシートが取れない正法寺本堂

▲まだブルーシートが取れない正法寺本堂

▲正法寺の観音堂

▲正法寺の観音堂

 後から知ったが、正法寺は雨乞いと縁結びの寺だそうだ。だから、この後雨は止み晴れ間も見えて来たのかもしれない。

▲正法寺に近い集落

▲広福寺に近い集落
第31番広福寺(こうふくじ)

 1847年に発生した善光寺地震(マグニチュード7.4程度と推定)で、大きな地滑りが発生した。このあたりも地滑りが発生したが、ちょうど広福寺を潰したところで地滑りが止まった。それで村人たちがお堂を再建し、現在の観音像はその時新たに迎えられたものだそうだ。

▲広福寺

 観音堂だけの広福寺だが、この話を聞いて集落を見守るように建っているように思えてきた。

 いよいよ、残すところは2寺となった。ともに県道36号沿いだ。広福寺を後にすると、やがて見覚えのある道になった。以前やきもち家という宿泊施設の温泉に入りにきたことがあったからだ。西照寺は県道36号を右折。鬼無里の方へちょっと戻る。そしてすぐに県道36号を右へ折れる。小さいが立派なつくりの観音堂にたどり着く。

第32番西照寺(さいしょうじ)

 西照寺も観音堂だけだが、広福寺に比べると細部の作りはぐっと趣がある。本堂には13躰もの仏像が安置されているそうで、外観からもそんな雰囲気が醸し出されている。なだらかな斜面状に築かれているが、ここもかつて地滑りが何度も発生しており、その都度再建されて来た、地元に愛されている観音様のようだ。今も建物や境内はきれいに整備されている。

▲西照寺

 いよいよ最後の観音様になる。最後の高山寺は、以前にも一度参拝したことがある。たまたま前を通りかかり、立派な三重塔が目に入り、立ち寄ったのだ。信州に来て、塔など見たことがなかったので、非常に印象的だった。その高山寺は西照寺からすぐ。県道脇なのと、立派な三重塔があるのですぐにわかる。

第33番高山寺(こうさんじ)

 立派な山門、立派な本堂、立派な三重塔があるお寺なのだが、その由緒はあまり書かれていない。境内にわずかに県宝三重塔のことだけが説明されていた。

此の塔は北信唯一で長野県下十二塔中最古である 源右大将頼朝公が祖師先徳・現世利益・鎮護国家を祈念建立し、当地虫蔵山にて木食単衣行を修した山居故信上人(一六五五〜一七二四年)
 十万人講を結成し広く十万有信の喜捨を乞い修復した塔である。

 どうも、この塔を建立したのは、源頼朝で、のちに塔を再建したのが、木食修行を行なっていた山居上人ということのようだ。先の案内板にも、
  創建 建久六年(一一九五年)
     現立塔元禄七年(一六九四年)
と、書かれていた。

 ちょうど参拝した時に、十数人の団体さんが到着した。そんな団体さんの参拝にも似合う立派なお寺で、写真もパチパチと何枚も取りたくなってしまう。奈良や京都ならあたりまえの風景かもしれないが、やっぱりお寺には塔がよく似合う。高山寺は最後を締めくくるにはピッタシのお寺だった。
▲南側から上ると仁王門がある

▲南側から上ると仁王門がある

▲仁王門をくぐると三重塔がドドドーンと見えてくる

▲仁王門をくぐると三重塔がドドドーンと見えてくる

▲山門をくぐると本堂

▲山門をくぐると本堂

▲本堂の右側に県下最古の三重塔が建つ

▲本堂の右側に県下最古の三重塔が建つ

▲三重塔の方から本堂を見る。右手が本堂、正面は庫裡

▲三重塔の方から本堂を見る。右手が本堂、正面は庫裡

▲本堂右側をさらに入っていくと観音堂につく

▲本堂右側をさらに入っていくと観音堂につく

 高山寺をちょっと下ると「アルプス展望広場」がある。生憎山の稜線には雲がかかっていたが、晴れていれば乗鞍岳や白馬鑓ヶ岳などを見渡すことができる。
▲県道脇のアルプス展望広場。雲がなければ案内板のように山の稜線が見える

▲県道脇のアルプス展望広場。雲がなければ案内板のように山の稜線が見える

 最後はやっぱり温泉。「湯の沢温泉小川の湯」で汗を流して帰路についた。
▲小川の湯。平成23年4月にリニューアルオープンしたまだ新しい施設

▲小川の湯。平成23年4月にリニューアルオープンしたまだ新しい施設

▲内風呂のみ。展望はないが、ガラス張りで明るい浴室

▲内風呂のみ。展望はないが、ガラス張りで明るい浴室