お盆にはちょっと早いが、義父の墓参りに行ってきた。場所は、塩尻から電車で一駅、小野だ。中山道塩尻宿から飯田へと繋がる三州街道の最初の宿場として、その面影を残している。町を貫く国道163号には大きな鳥居が立っているのが特徴だ。はて、この鳥居は何か? 多分町の入り口にある大きな神社に、その由来があるのだろうと、墓参を終え、放置されているカミさんの実家の土地を見た後、帰りの電車まで、まだ1時間程時間があったので、参拝した。
神社は、実は2社が並んで建っていた。小野神社と矢彦神社だ。いずれも信州の二之宮になっている。信州の一之宮といえば諏訪大社。それにつぐ神社なのだから、それだけでもその格式の高さがうかがえる。なぜ2社が連なるのかはわからなかった。北側が小野神社、南側が矢彦神社だ。
小野宿は、塩尻市と辰野町にまたがっている。かつて松本城主石川数正と飯田城主毛利秀頼の間に領有権争いがあり、それを豊臣秀吉の裁定で、2つに分けられた歴史がある。だからかどうか、小野神社が塩尻側の小野地区の氏神で、矢彦神社が辰野町側の小野地区の氏神になっており、ともに塩尻市に位置するのだが、矢彦神社だけは、辰野町の飛び地になっている。
両行政地区に分かれているためか、神社の案内板も別形式で、両神社の関わりを説明する案内板はみられなかっった。塩尻市、辰野町のホームページを見るよりも、両社のことを並行して見るならば、Wikipediaがわかりやすい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/小野神社・矢彦神社
両社は、双子のように同一形式かと思えば、そうでもなく、諏訪大社の翌年に行われる御柱も、同時期に開催されるにもかかわらず、樹皮を向いた柱を立てる矢彦神社に対し、小野神社はそのままという風に、いろいろなところに違いが見られた。